2017年04月23日

浮気妻の問題(数学の問題)について

さて、大学時代、数学系の授業で『浮気妻の問題』なる《数学の問題》を聞いた記憶があるのですが、今回はそれについての話です。

この『浮気妻の問題』は、ビッグバン理論の提唱者として知られる、ジョージ・ガモフの考案とのことでしたが、結論から申しますと、答えとされているものは間違い(正確とされている考え方をするには少なくとも前提が足りない)だと私は思うのです。

当該授業が終わった直後に気づいたことだったと思いますが、「先生がもう教室にいない」&「私に問題文の状況の把握漏れがある可能性もある」ということもあって、別にいいやと思って放っておいたのですが、数か月前にふとネットで簡単に調べてみると、色々なバージョンがあるようですが、見たものはどれも私が授業時に抜けていると思った前提がやはり抜けた状態で、同様の論展開をしてしまっていると思うのですよね。

まあ、そんな前書きを延々と書いたところで、何やら怪しい雰囲気を醸し出していそうな気もしますし、同じような前書きを私がみたら、大したことない内容だったり、そもそも間違えている内容で
「自分は凄いことを考えたぞ」
とか勘違いしている人である可能性を大いに疑うようなところでしょうから(笑)、さっさと問題の中身に参りましょう。(ちなみに、大した内容ではないとは思いますので、私の指摘が正しければ、すでに気付いている人はそれなりにいるだろうとは思います。論文等で学術的に発表したりしているかどうかは別にして。私が指摘が間違いだったら・・・笑ってください(笑))

自分で考えたい方は、以下を読まずにまずは自分で調べてお考えを。

授業で聞いた内容の記憶だったり、ネット上の情報のみだと心もとない(というよりガモフに失礼な)気がしますので、元ネタと思われる『数は魔術師(原書名:Puzzle‐math)』(ジョージ・ガモフ、マーヴィン・スターン共著)の記述をまずは見ていきましょう。

以下、その内容の要約
『40人の不貞な女房』(『数は魔術師』p.20-)
※問題の状況
1.ある国の首都におおっぴらに不倫をしている女が40人いたが、御多分に漏れず、知らぬは亭主ばかりなりという寸法になっていた。
2.そこで王はその妻を罰しようと、「不貞の事実が疑う余地のない場合にかぎり、寝取られた亭主は女房を殺してよい」という布告を出した。不倫をしている女房どもの数のことも、名前についても一切触れずに、ただ、このことは町の評判であり、亭主連はそれらについて何らかの方法を講ずべきだと暗示してあったでけである。
3.人民は怠け者かもしれないが、賢明である。
4.結果、布告の日から40日目にたった1晩で不倫をしていた40名の妻たちが殺害された。
5.なぜそうなったのか?

※こたえ
不倫をしている妻が40人ではなく1人であった場合から考える。
1.不倫をしている妻が1人であった場合
この場合は、その妻の夫以外は、みなその不倫の事実を知っているが、その夫だけが知らない。
町に不貞な妻がいるという布告を彼が読めば、他に不倫の事実を知らないので、自分の妻のことだけをこういっているのだと確信するだろう。
よって彼はその晩のうちに妻を殺してしまうだろう。
2.不倫をしている妻が2人であった場合
妻に不倫されている2人の夫は他方の妻の不倫は知っているが、自分の妻の不倫については知らない。
不倫をされている2人の夫は、もしも自分の妻が不倫していないならば、他方の夫は先の「不倫をしている妻が1人であった場合」と同様にその日のうちに自分の妻を殺すはずと考える。
しかし1日目には何も起きなかったので、不倫をしている妻は1人ではなく自分の妻も不倫をしていることが分かり、2晩目に2人の妻が死ぬことになる。
3.不倫をしている妻が3人であった場合(ここから数学的帰納法の発想)
妻に不倫されている3人の夫は他の2人の妻の不倫は知っているが、自分の妻の不倫については知らない。
夫たちは賢いので、「不倫をしている妻が2人であった場合」に示した論展開によって、自分の妻が不倫していないならば、他の2人の夫は2日目に自分たちの妻を殺すはずと考える。
しかし2日目には何も起きなかったので、不倫をしている妻は2人ではなく自分の妻も不倫をしていることが分かり、3晩目に3人の妻が死ぬことになる。
不倫をしている妻が4人以上であった場合についても同様の論展開が成り立ち、40人の場合には、40日目に不倫をしていた40名の妻たちが殺される。

以上

何とも恐ろしい世界でございますねえ(苦笑)。
ちなみに、私が授業で聴いたものや、ネット上で見たものでは、夫と妻の立場が逆になっていたり、人数の指定がなかったりしていると思いますが、それ自体は数学的にはどうでも良いと思いますが、問題自体が結果の理由を問うものではなく、「不倫をしているものが、その人数と同じ日数目に殺される。」という結論を必然的なものとして答えさせるものになっていたりすると思うのですよね。

ただガモフの問題については、どちらかというと、ある結果についての、つじつまが合う理由を考えるような問題といった印象なので、そこまで厳密な条件にこだわるものでもない気もするのですが、必然性のある結果を答えさせるような問題にしてしまうと、これにはある程度の厳密性が必要になってしまう気がします。

実際に授業やネット上で見たものについては、他にもいろいろと条件が付加されていて、それらの内容と思うものをあげると、
・妻たち(ガモフの問題の場合は夫たち、以下同様)は《十分》賢いものとする。(数学的帰納法の発想等が使える前提)
・妻たちは、町に不倫をしている(ガモフの問題の場合は夫、以下同様)がいることを布告によって信じる。(十分賢いのだからその情報を疑ってかかるはずだとかはなし)
・妻たちは、自分の夫が不倫していると分かれば、その日の内に、必ず夫を殺害する。(慈悲深い妻で・・・だとかはなし)
などなど、色々とあるわけですが、それでもまだ欠けていると思う条件があるのですよ。個人的には結構根本的に思うような部分で。

それが何かと言いますと、例えば、
「妻たちが十分賢いということを妻たち同士も知っている」
「そのことを妻たちが知っているということを妻たち同士も知っている」
など。
何故かといったら、この問題の論展開は要するに、例えば夫に浮気をされている妻A,B,C,Dがいたとすると、妻Aが、
「もしも自分の夫が不倫をしていないのなら、妻B,C,Dは数学的帰納法に則った思考の上、3日目に自分たちの夫を殺す」
という思考をすることが前提かと思いますが、妻B,C,Dが十分賢いことなどを知らなければ、数学的帰納法に則った思考ができるという前提がないと思うからです。
さらに、妻B,C,Dが数学的帰納法に則った思考が出来たところで、それに必要な情報(「妻たちが十分賢いということを妻たち同士も知っている」など)を妻B,C,Dが知らなければ、妻Aが、妻B,C,Dについて、そういった思考をするはずだと考えることができない(仮にそう考えたのなら、妻Aは十分に賢くはなくなる)と思うからです。

要するに、この問題を見ている私たちと、この妻(または夫)たちで得ている情報が違う可能性を無視して、同じ思考ができるはずだと思うようなところが問題ではないかと思うわけです。

こういった間違いなんかを見つけるのは割と簡単な場合が多いと思いますが、正しいことの証明ってやつは中々難しいと思うのですよ。数学の問題でもある数学者がある問題を解いたと思っても、本当に解けているかは別問題で、他の数学者の査読を受けて間違いを指摘されたりとか。

要するに、いくら自分で欠陥を見つけられなかったからと言って、自分の論展開が正しいと信じるとかは別に良いとして、「間違っていることなどありえない」とか(特にまともな証明もなしに)決めつけるのは如何なものかと思うわけです。

やたらと何かを断言しまくる人が世の中いるかと思いますが、自分が間違えている可能性ぐらいは意識した方がいいんじゃないのと思うわけです。

そんなのに断定的に否定されまくることを嫌って、批判しなくなって、間違えた内容を正しいなんて言われ続けるなんてことになったら、そりゃ科学界の悲劇でしょうよ。

今回はそんなお話でした。

以上です。
posted by ゴマフ犬 at 21:58| Comment(0) | ちょっとした科学の話など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月12日

何故靴紐は結べるのか?

先ほどyahoo!ニュースでこんな記事を見つけました。↓

こちら

「なぜ靴ひもはいきなりほどけるのか 長年の謎を実験で解明 米」だそうです。

何故いきなりこんな紹介をするのかというとですねえ、以前立方体などの例で、一つの平面図形をいろんな見方をしてみるなんてことが私の子供のころの暇つぶしだったなんてことを書きましたが(こちら)、靴紐などの紐の結び目をイメージすることもそうだったりするのですよ。(ブログに書こうと思ったこともあるのですが、紐の絵を描くのが面倒臭そうだったので書かなかった(笑)。)

子供のころから今に至るまでの間で度々脳にダメージ受けたり色々あったりかで、今は子供のころの全盛期(小5ぐらい)から見れば、その辺のイメージ力はかなり落ちてしまった感じではあるのですが(子供のころは凄かったなあ←自画自賛(笑))、そういったイメージをして暇つぶしして思ったことは、

「なぜ靴ひもはいきなりほどけるのか」
ってことより、
「なぜ靴ひもは結ばれた状態でいられるのか?」
ってことだったりするのですよね。
そのついでのような形で、靴ひもがほどける課程も多少考えたりはしていたわけです。

そんなわけで、今回は、紐の結び目シリーズ第1弾と称して、靴紐の結び目がどうなっているのかを見ていくとしましょう!(第2弾があるかは不明(笑))

とはいっても、やっぱり図を描くのが面倒くさいし(笑)、他にもやることあるしで、大雑把な話にはなると思いますし、例のごとく、参考文献特になしとかだったりするので、所々で変なことを書いているかもしれませんが、お付き合いいただければ幸いです。

まずは、申し訳ないながら、(分かりずらいと思いながらも)図無しの文章のみで、図は気が向いたらということでご了承を。

さてさて、靴紐が結ばれる過程ですが、個人的な感想としてはこれはまさに絶妙な感じがするのですよね。
先ほどの記事によりますと、論文では
「靴ひもが何の前触れもなく一瞬でほどけることが多い」
とのことなのですが、
「そりゃそうじゃないの?」
と思うぐらいに絶妙な気がするのですよね。(前触れの捉え方にもよるのかもしれませんが。)
「少し崩れりゃすぐほどけるんじゃないの?」
という感じで。
いや、まあ人によってはそうでもないと思うかもしれませんが(笑)、早速結び方から見ていくとしましょう。

まずは確認ですが、靴紐の結び方は普通、俗にいう(両)蝶結びだと思いますが、この結び方は俗にいう(?)二重結びの一重目を結んだ後に、残った両端を折り返してそれぞれ2つ折りにした状態で、それらの折り目を先にして、二重目も一重目と同じように結んだ構造になると思います。

実際の手順としては、片方の紐を輪っかにして、もう片方の紐をその周りに回して・・・とかいう形で教わった記憶がありますが、構造としては、上で述べたように二重結びの亜流みたいなものだと思います。
(ちなみに「もう片方の紐をその周りに回して」の部分の回し方によって結び目の両輪っかの向きが変わると思います。最初に作った輪っかがどこに固定されることになるかを考えると分かりやすい気がします。)

なので、蝶結びも二重結びも結ばれる仕組みは基本的に同じだと思います。
なのでまずは、簡単のために、二重結びが、結ばれた状態で固定される仕組みを示していこうと思います。

ほどけにくいというだけなら二重結びは比較的納得しやすいと思うのですよね。
何故かといったら、二重結びをほどくためには、結んだ先端を結ぶ際に通した場所に戻さなければいけないという割とピンポイントな状況が必要だと思いますので。そして、仮に一時的に緩むことがあっても、紐の両端が振れたりすると、再度縛り直されたりもすると思いますし。(ちなみに蝶結びは、二重結びの両端に該当する両輪っかの方ではなく、本当の紐の両端が振れると逆にほどけるように作用してしまうと思う。)

でも結び目が固定させる仕組み、つまりは緩みもし難い理由は訳が違うと思うのですよ。
何故かといったら、二重結びの一重目を結んだ後に残った両側の紐をそれぞれ紐A,Bとすると、二重目の結びによって、紐Aを固定するのは紐Bだと思いますが、どうやって固定しているのかといえば、構造的には紐Aの周りに巻かさっているだけだと思うのです。
要は、紐Bとの摩擦力によって紐Aが固定されている形になると思いますが、巻いているだけで固定するぐらいの摩擦力を生むためには、紐Bがきつく巻かれた状態で固定されなければならないと思います。
つまりは、紐Aを結び目に固定するためには、紐Bも結び目に固定されなければならない。

そして、その紐Bを固定するものは何かといったら、それは・・・紐A!
それも紐Bが紐Aを固定するのと同じく、構造的にはただ巻かれているというだけで!

紐Aが固定される理由→紐Bが固定されているから
紐Bが固定される理由→紐Aが固定されているから

とかいう何やら循環論法のような構造になっていないかということです。
とはいっても論法ではなく物理現象なので、特に矛盾なく成立していると思います。
これが絶妙に思うところだったりするわけです。

そしてどちらか一方の固定が弱くなれば、もう一方の固定も弱くなってしまうと思います。
二重結びの場合は先に述べたように、固定が弱くなって、ほどけかけても再度縛られ直されたりもしやすいと思いますが、蝶結びについては、固定が弱くなった際に、本当の紐の両端が振れてしまうと一気にほどけてしまいやすいと思います。

これが、冒頭で述べたように
「靴ひもが何の前触れもなく一瞬でほどけることが多い」
とのことに対して、
「そりゃそうじゃないの?」
と思う理由というわけです。

輪っかの方が振れる場合は理論上は結び目を結び直す方に作用するようにも思えますが、輪っかにして紐二重にしていること自体がそもそも結び目を弱くしている気もしますし、結び直されたところで輪っかの大きさが変わったりで、綺麗な状態を保つのは難しいのではないかと思います。

というわけで今回は、蝶結びは絶妙(?)という話でした(笑)。

紐の結び方を最初に考えた人が誰かは知りませんが、そこを意識して考え出したのなら天才でしょう!
(かなり昔の話な気がするので、ひも状のものをなんとなくいじっていたらできたという形な気もしますが←それでも十分偉大でしょう!)

例のごとく、どうでも良い人にとってはかなりどうでも良い(しかも図なしで分かりにくい)話だったと思いますが、楽しんで頂けたら幸いです。

以上です。
タグ:紐の結び目
posted by ゴマフ犬 at 23:11| Comment(0) | ちょっとした科学の話など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月01日

鏡映反転の仮説の補足6〜回り方の認識法〜

再び冬眠からお目覚めです(笑)。
もう春・・・ではないか(笑)。
まあそんなことはどうでも良いとして、今回の記事です。

これまで、鏡映反転について色々書いてきたわけですが(こちら)、今回は鏡映反転というより、そのもとになると思われる認識についての話です。

まずは、前回の記事の内容を今回の記事にも使うので、まとめ直そうと思います。
座標系や座標(値)の多重状態としていたわけですが、座標系や座標値に限らず、一つの物理的な状況に対しても、複数の(場合によっては物理的には相反するような)認識が共存する場合があって、それが人の認識の不安定性に寄与しているのではないかという形で提示させていただきます(←まさに仮説)。

さて、本題です。
高野陽太郎先生が書かれた『鏡映反転』の附章(pdfファイル)には、時計回りと反時計回りの反転について書かれた部分があると思います。
そうそう実は私、こういった運動の反転というのは完全にノーマークだったのですよ(苦笑)。
そんなわけで、今回は私の仮説の補足の意味も含めて、回り方の反転・・・というより、その基になると思われる回り方自体の認識法について述べようと思います。

まずは、『鏡映反転』の中の回り方の反転の説明を簡単に紹介しようと思います。
あくまで実物が見えていない通常の時計の鏡像についての表象反転に限っての説明になっていると思いますが、その内容は以下の3つの説明があると思います。

秒針の針のように、動きが目に見える場合
説明1.その動きと記憶している針の動きを比較する。(恐らく、鏡像の元になっている実物の時計を見た上で、それと比較する場合を想定していると思う)
秒針がなく、動きが目に見えない場合は、具体的なイメージではなく、抽象的な判別方法で、
説明2.右半分と左半分の内、針の動きが、どちらが上に移動し、どちらが下に移動するで左右を比較する。
説明3.針を追って自分が文字盤の上を歩いているところを想像した際に、回転の中心が右にあるか、左にあるかで比較する。

うーん、説明1については、結局何をもってまわり方が逆と判断しているのか(具体的に何が逆か)の構造がいまいち見えないのですが、色々あるから限定しないという意味なら特に問題はなさそうですね。
ただ、説明2と3については、具体的なイメージではなく、「抽象的な《判別方法》」というのがいまいちよくわからないというか・・・。一般的な時計の抽象的な《イメージ》を基にした判別方法とかならわかる気がしますが。

そうそう、説明2と説明3は回り方の認識の過程としては、十分存在すると思うのですよ。
そしてそれは秒針が見えているか否かや実物が見えているかいないかには特に係らないことかと思います。つまりは説明1の具体的な判別方法などとしても使えるだろうということです。

もっとも、回り方の認識は、それだけということはないと思います。(念のためにいうと、高野先生がそれだけだと主張されているとかいうわけではありませんので、誤解なきように。)
表現方法が違うだけとかいうわけではなく、観測者が何をもって回り方(時計回りか反時計回りか)を認識するのかという意味で認識過程が違うものが存在すると思うのですよ。

そうは言っても、分かりにくい気がするので(そもそも私自身が高野説における他説も含めた原理の個数の扱いについては、基準がいまいちわからないという立場でもありますし)、似たような例を挙げると、例えば、以下のような問題があったとします。

*****問題*****
ある存在する実数\(x\)について以下が成り立つことが分かっている。
\begin{equation}
3x=x+4
\label{1}
\end{equation}
\begin{equation}
2x^2-3x-2=0(x>0)
\label{2}
\end{equation}
この実数\(x\)の値を求めよ。
*****以上*****


この式\eqref{1}と式\eqref{2}はどちらも解が\(x=2\)のみである数学的には同値(互いに必要十分条件であって、その表現が違うだけ)な式となっているので、どちらかを解いてしまえば答えは分かってしまうはず。
そして、式\eqref{1}だけを解いて答えを求めた場合と式\eqref{2}だけを解いて答えを求めた場合と解いた人の認識過程が全く同じかといったら、それは違うのではないかと思うのですよ。勿論どちらも数学的手法に則って解くという過程という意味では同じなわけですが、《表現が違うだけの全く同じ過程》というわけではないのではないかということです。(一応いうと、高野説における分類は、全く同じではないものの間での分類の話であって、これとは別の話だと思います。)

要するに、数学的な(又は物理的な)同値関係とそれらの認識の同値関係は、少なくとも常には一致しないのではないかということです。

仮に一致するなら、式\eqref{1}や式\eqref{2}を解く際の途中式を記述するのに、途中式を全て\(x=2\)に(これも数学的には同値なはずなので)置き換えて書いても良いのかというとそんなことはないでしょう。
もっと言うと、はじめから、式\eqref{1}や式\eqref{2}を書かずに、ひたすら\(x=2\)を繰り返すという手も・・・。(←もはや何をやりたいのかわからない(笑))
要するに、途中式で示すのは、思考(認識)の過程であって、数学的には同値だからと言って、全部\(x=2\)に置き換えたらまずいでしょうということです。

前置きが長くなりましたが(笑)、そんなわけで、今回はそれぞれ別の認識過程だと私が思う、色々な回り方の認識方法(過程)についてみていくとしましょう。(勿論、それしかないという気はありません。)

それぞれ勝手に名前を付けると(笑)、

両端運動位置比較法(上の説明2を参考)
中心位置認識法(上の説明3を参考)
運動方向認識法(中心位置識別法と数学的には同値と思われる方法)
位置時間遷移認識法(個人的には一番一般的な気がする方法)
速度時間遷移認識法(個人的には一番客観的な気がする方法)

一応念を押すと、こういう風に分類した形で示しているのは、同じ方法として表現しているものは、別の状況においても全て同じ方法であるという意図があるわけではなく、同じ状況においてもこれらの認識方法が、別々のものとして共存し得るという意図によるものです。同じ方法として表現しているものであっても、見方を変えて別と見るのも、別の方法として表現しているものであっても、ある部分においては共通しているから《ある分類上は》同じとして扱うだとかも、その有用性だとかを別にすれば、特に構わないと思います。(←くどい?(笑))

さて、それでは、それぞれの回り方の認識方法がどんなものか、(らせん形などの3次元のものもあるかと思いますが)とりあえずは2次元の平面内の運動に限って適用例(円運動+特殊な例)と共に紹介するとしましょう。

※両端運動位置比較法
mirrorexF-1.png


冒頭の説明2の判別方法を純粋な円運動以外のものにも使えるように、やや拡張した方法になります。図F-1の点\({\rm P}\)が動点であって、この回り方についての認識になります。なお、説明の便宜上、動点\({\rm P}\)の動き方は図に描かれた経路について、速度ベクトル\(\boldsymbol{v}\)で表した方向に一方通行で、逆走も止まりもしないこととします。(他の認識法でも同じ)

手順は、

手順1.全体の運動の中における、左右などのおおよそ直線的なある一方向(図F-1の\(x\)軸方向)の両端(図F-1の点\({\rm A,B}\))を特定する。
手順2.上の一方向とおおよそ垂直な方向(図F-1の\(y\))における、点\({\rm A,B}\)での運動のあり方を認識する(図F-1の速度ベクトル\(\boldsymbol{v}\)の\(y\)成分\(v_y\))
手順3.点\({\rm A,B}\)での\(v_y\)のうち、\(v_y>0,v_y<0\)となるのが、それぞれ点\({\rm A,B}\)のどちらかをもって回り方を判断する。

\(v_y>0\)が点\({\rm B}\)で、\(v_y<0\)が点\({\rm A}\)なら時計回り
\(v_y>0\)が点\({\rm A}\)で、\(v_y<0\)が点\({\rm B}\)なら反時計回り

個人的には、手順2までいったのなら、点\({\rm A,B}\)のそれぞれで\(v_y\)が\(+\)か\(-\)かで判断した方が速い気がしますが、冒頭の説明2に倣うとこうなると思いますし、出来ない判断ではないと思うので良しとしましょう。

速度ベクトル\(\boldsymbol{v}\)なんてものに怪しさを感じた人がいるかもしれませんが、観測者が感じる速度(速さと方向)の認識を数学的に表したものになります。(あくまで感覚上の速度を表すのもであって、位置の認識の時間微分によって求める物理的な定義と一致する保証はないと思います。・・・微分積分使いたい(笑)。)

後は、注目しているのが点\({\rm A,B}\)とかいう2点のみであるのも違和感がある人がいることと思います。
これについては至極まともな感覚な気がする部分で、実際には点\({\rm A,B}\)付近の他の点についての判断も行われて、それらのどの点の組み合わせでも結果が変わらないという認識の上での判断だったり、座標系の時間的な揺らぎや多重状態(この両者の明確な区別は正直何とも言えないのですが)によって、両端の点が多数存在して、それらの点を基に、回り方を認識しているということもあるのではないかと思います。

この方法の特徴としては、あくまで運動全体としての回り方についての判断ということになると思います。

ここで冒頭の説明2では、「右半分と左半分」とした部分を両端としたのは、円形から変形しても対応できるようにするためになります。
その例が下の図F-2。

mirrorexF-2.png


何やら、「C」のような形状で、左半分をみると上向きの運動と下向きの運動が混在していて冒頭の説明2では判別不能かと思いますが、全体としては時計回りに見えたりもするのではないでしょうか?

ここで、両端運動位置比較法を使うと、\(x\)座標最大の点が点\({\rm A}_1,{\rm A}_2\)のどちらなのかという気もしますが、どちらであっても基本的に(\(v_y\)の認識をぐちゃぐちゃにしたりといった、あまり奇抜なことをやらなければ(笑))時計回りと認識でき、上の認識と結果が一致すると思います。

勿論、この場合に、全体としては時計回りに見えたりもする認識法がこの方法だけとか言いたいわけではなく、候補の一つとしてはあるだろうということです。

※中心位置認識法
mirrorexF-3.png


こちらは冒頭の説明3の判別方法とほぼ同じに見えますが、感覚的なものを表す意味で、中心を、中心らしきものといった感じの意味で擬似中心というものに置き換えております。

手順は、

手順1.ある瞬間の動点\({\rm P}\)の速度ベクトル\(\boldsymbol{v}\)と擬似中心\({\rm O}\)を認識する。
手順2.速度ベクトル\(\boldsymbol{v}\)とおおよそ垂直な方向(図F-3の\(x\))について、動点と擬似中心の位置関係\({\rm O}_x-{\rm P}_x\)を認識しそれによって回り方を判断する。

\({\rm O}_x-{\rm P}_x>0\)なら時計回り
\({\rm O}_x-{\rm P}_x<0\)なら反時計回り

ここで、\({\rm O}_x-{\rm P}_x\)の\({\rm O}_x\)と\({\rm P}_x\)がいったい何を表しているのかということについてですが、これは動点と擬似中心の位置関係を前提としたもので、個別的な\({\rm O}_x\)や\({\rm P}_x\)の値には《とりあえずは》何も意味を持たせておりません。つまりは、\({\rm O}_x-{\rm P}_x\)が一つの認識ということです。
元々の考えはというと、何らかの共通の基準(座標系)があって、それを基に\({\rm O}_x\)や\({\rm P}_x\)といったそれぞれの位置を認識して、その差\({\rm O}_x-{\rm P}_x\)をもって位置関係を認識するといった形で考えていて、今もおおよそそんな感じではないかと思うわけですが、人の認識上のものである以上、位置関係の認識がそれらの差で表される保証はないと思うので、安全策をとったわけです。

あくまで、動点から見た擬似中心の位置という意識なら、動点の座標を原点(座標値0)にとるなどによって、動点の座標値を固定して、一つの変数の形で表した方が分かりやすいのかもしれませんが、どちらから見てではなく、単純に位置関係という認識になると、どちらの点の座標値を固定するかなんて意味が無くなるでしょうし、この両者の認識の違いもあいまいな気がするといいましょうか。そもそも単純な位置関係とは違う、完全なる「動点から見た擬似中心の位置という意識」が存在し得るのかもよく分からないので、柔軟性を持たせる意味でも、より一般的な形で\({\rm O}_x-{\rm P}_x\)として表現させていただきます。

この方法は、両端運動位置比較法とは違い、全体ではなく瞬間での回り方についての判断ということになると思います。

さて、円運動における中心は、円運動でなくなった時点で消滅してしまうかと思いますが、中心《のようなもの》である擬似中心なら観測者の裁量で如何ようにも認識できると思います。それが係りそうな例が下の図F-4。

mirrorexF-4.png


直線を合わせた四角形の軌道。ちなみに外接円も存在しない四角形。これも普通に見れば時計回りに見えるのではないでしょうか?

ここで、中心位置認識法を使うと、擬似中心が四角形の軌道の内側にあるならば、基本的に時計回りと認識でき、上の認識と結果が一致すると思います。

この場合の擬似中心は動点と一緒にかなり動きそうな気も大体止まっていそうな気もしますが、その辺の感覚も、冒頭でまとめた認識の多重状態の形で提示させていただきます。

※運動方向認識法
mirrorexF-5.png


こちらは、擬似中心や速度ベクトルといったものに対する認識が同じなら、中心位置認識法と数学的には同値と思われる方法になります。

手順は、

手順1.ある瞬間の動点\({\rm P}\)と擬似中心\({\rm O}\)の位置関係を認識する。
手順2.擬似中心から動点に向かう方向とおおよそ垂直な方向(図F-5の\(x\))についての動点の速度ベクトル\(\boldsymbol{v}\)の成分\(v_x\)を認識しそれによって回り方を判断する。

\(v_x>0\)なら時計回り
\(v_x<0\)なら反時計回り

中心位置認識法は動点の速度ベクトルを基準にした動点と擬似中心の(ある方向における)位置関係に注目した判断となっておりますが、運動方向認識法は動点と擬似中心の位置関係を基準にした動点の速度ベクトル(のある方向成分)に注目するという、おおよそ逆の形になっていると思います。

数学的に同値であるため、中心位置認識法と適用できる場合も同じ(かつ基本的に結果も同じ)だと思いますが、最初に挙げた両端運動比較法では(奇抜なことをしなくても(笑))判別不能となり得る適用例として、下の図F-6を挙げてみましょう。

mirrorexF-6.png


軌道が閉じていませんが、動点\({\rm P}\)がこの軌道上のどこを動いているときであっても、時計回りに見えたりもするのではないでしょうか?両端運動位置比較法では単純に左右の両端の運動に着目すると、どちらも基本的に上方向(\(v_y>0\))の運動となるでしょうから、この両端の取り方だと判別不能となってしまうと思います。(別の両端をとれば出来ると思いますが。)運動方向認識法、(及び中心位置認識法)では、動点が点\({\rm A,B}\)にあるときの擬似中心\({\rm O}_{\rm A},{\rm O}_{\rm B}\)をそれぞれ図F-6のようにとると基本的にどちらの点でも時計回りと認識できると思います。

さて、運動方向認識法は中心位置認識法と数学的に同値と思われると書いたわけですが、気になる人もいるかもしれませんので、そのことを数学的に示しておきます。それが、下の図F-7になります。

mirrorexF-7.png


前提として、擬似中心と動点の位置関係を表す位置ベクトル(\(\boldsymbol{r}\))と速度ベクトル(\(\boldsymbol{v}\))の認識は両者の比較法で変わらないとしておきましょう。それぞれの座標系の取り方だとかも完全な直交座標系であるなどの理想的な状態であるとしましょう。
その場合には、どちらの認識法であっても、\(\boldsymbol{r}\)と\(\boldsymbol{v}\)の関係のみによって決まると思います。

数学が得意な人向けにベクトルの外積を使うと、両者ともに\(\boldsymbol{r} \times \boldsymbol{v}\)の向きによって決まり、両者の判断が完全に一致することになると思います。よって数学的には同値でしょうということです。

※位置時間遷移認識法
mirrorexF-8_1.png


これまで挙げた認識法は、両端運動位置比較法が運動全体の回り方、中心位置認識法及び運動方向認識法は瞬間での回り方についてのものとして提示したわけで、どちらも兼ね備えていると捉えるのは困難かと思いますが、それが容易に思えるのがこの認識法。個人的にはもっとも一般的な回り方の認識な気がするものです。

手順は、

手順1.擬似中心\({\rm O}\)と、その擬似中心から動点へ向かう方向の時間遷移を認識する。(図F-8では、この方向を\(x\)軸とのなす角\(\theta\)として表現、つまりは方向を角度成分として数値化して表現しております。)
手順2.その方向の時間遷移によって回り方を判断する。

\(\theta\)の時間遷移が\(+\)(時間とともに増加する方向)なら反時計回り
\(\theta\)の時間遷移が\(-\)(時間とともに減少する方向)なら時計回り

図F-7で使った位置ベクトル\(\boldsymbol{r}\)を用いて数学的に表すなら、\(\boldsymbol{r}\)を極座標表示した際の角度成分\(\theta\)の時間遷移による判断ということになると思います。

ここで、\(\theta\)は方向を表しているわけですが、動点と擬似中心の位置関係のときと同様、その個々の数値自体には《とりあえずは》意味は持たせず、その時間遷移を認識して回り方を判断するということです。

ちなみに\(\theta\)の範囲は負の数も含めて実数ならば何でもありのものになります。
単位を"°"で考えると\(\theta\)が360°増えれば1周分、720°増えれば2周分反時計回りに回転し、360°減れば1周分時計回りに回転することを表すということです。

瞬間の回り方については、瞬間的な\(\theta\)の増減によって判断し、ある区間(例えば動点\({\rm P}\)が図F-8に示してある位置から点\({\rm A}\)に移動するまでの間)の全体的な回り方については、その区間の両端の\(\theta\)の差をもって判断するということです。

この認識法に対してはこう思う人もいるかもしれません。

「この方法は結局、動点の方向の回り方が時計回りか反時計回りかによって判断しているのであって、その時計回りか反時計回りかの判断には他の認識法が必要なはずではないか?」

要するに、結局は、これより前に示したような前後上下左右などの他の基準で考えられる認識法が必要ではないかということですが、考えてみて欲しいのは回り方が逆の2つの円運動を目の前で見せられた時に、わざわざ他の基準を持ってこなければ回り方が逆だと判断できないのかということです。

つまりは、前後上下左右などは、人に内在する感覚に名前を付けたものになると思いますが、位置時間遷移認識法における方向の遷移の仕方も同様に人の中に内在する感覚であって、それらに時計回りや反時計回りといった名前のある区分を設けているだけではないかということです。

これより前に挙げた3つの認識法はどちらかというと、前後上下左右などのより馴染みある言葉によって考えることができる思考的な方法だったと思いますが、こちらはより直感的な認識法ではないかということです。

そもそも、これまで挙げた方法の座標系の\(x,y\)軸(つまりは前後上下左右などの直感的な方向を表せるもの)にしたって、その2つの関係は、おおよそ(完全な直交座標系なら完全に)原点を中心に《反時計回り》に\(x\)軸を90°回転させれば、\(y\)軸に一致するという関係になるかと思いますので、前後上下左右は直感的にそのまま判断できるが、回り方は前後上下左右などの他の基準を使わなければ判断できないなんてことはないと思います。(勿論、中にはそういう人もいるとは思いますが、人類に共通する必然的性質ではないと思うということです。)

さて、この位置時間遷移認識法は、瞬間の回り方とある区間の全体の回り方の2通りの回り方が別々に存在し、ある区間内のある点における瞬間の回り方がその区間の全体の回り方と一致しないこともあると思います。その例が下の図F-9。

mirrorexF-9.png


位置時間遷移認識法では、動点\({\rm P}\)が図F-9に示してある位置から点\({\rm A}\)に移動するまでの間の全体の回り方は基本的に時計回りとなり、動点\({\rm P}\)が点\({\rm A}\)にある時の瞬間の回り方は基本的に反時計回りとなり、一致しないことと思います。

ちなみにこの認識法では、判断基準が角度の遷移であるため、「どこかで瞬間的にどっちかに1回転して元の位置に戻った」とかいう謎の認識をして遊ぶことも可能かと思います(笑)。

・・・と書いたところで、「動点\({\rm P}\)の動き方は図に描かれた経路について、速度ベクトル\(\boldsymbol{v}\)で表した方向に一方通行で、逆走も止まりもしないこととします。」という説明の便宜上の前提を思い出すという(逆走ダメじゃん!)悲しき事態に陥ったので(笑)、この場においては瞬間的な逆走はありでお願いします。
瞬間的な回転なので、(長さが0であるその《瞬間の期間》の中に、動点\({\rm P}\)が逆走の途中経路上のある点に存在する瞬間は基本的に存在しないと思うので)、逆回転はしても、逆走はしていないという解釈もできるかもしれませんが、念のため。

大学生等の物理を学んでいる人向けに、
ちなみに、人の認識上の話ではなく、実際の物理上の運動に対して、\(\theta\)を瞬間的に\(\pm 360{\rm °}\)するという解釈を適用しても、物理学の定義上、速度に変化はないと思います。よって、「物体の速度は光速を超えない」などの法則の反例とはならないでしょう。素晴らしい!間違っても極座標表示で大きさが無限大の角速度を使って、「速度の大きさも無限大になる」なんてことをやってはいけないでしょう。理由はあえては書きませんので、ご興味がありましたらご自分でお願いします。訓練です(笑)。

※速度時間遷移認識法
mirrorexF-10.png


位置時間遷移認識法は動点の位置(ベクトル\(\boldsymbol{r}\))の角度成分の時間遷移についてのものでしたが、速度時間遷移認識法は動点の速度ベクトル\(\boldsymbol{v}\)の角度成分の時間遷移についてのものになります。

手順も表現上は、位置時間遷移認識法と非常に似通った感じで

手順1.動点の速度ベクトルの方向(角度成分\(\theta\))の時間遷移を認識する。
手順2.その方向の時間遷移によって回り方を判断する。

\(\theta\)の時間遷移が\(+\)(時間とともに増加する方向)なら反時計回り
\(\theta\)の時間遷移が\(-\)(時間とともに減少する方向)なら時計回り

瞬間と全体の回り方についても、\(\theta\)の時間遷移について位置時間遷移認識法と同様に判断する訳です。

図F-10の位置空間や速度空間っていったい何?と思う人もいると思いますので説明しますと、位置空間は動点の運動を位置によって表すいわば普通の空間なのに対して、速度空間の方は各点の速度ベクトルをその始点を原点にとって表現したものになります。(速度空間という言葉は物理の世界でも使うと思いますが、位置空間は私の造語です。)
こうしてみると速度空間における\(\theta\)が、位置時間遷移認識法の位置空間における\(\theta\)のような形になって、回り方を実感しやすいのではないかということです。

「そんな認識、誰がするんじゃい!」という声が聞こえてきそうな気もしますが、出来ないわけではないと思う、尚且つ個人的に面白いので続行させて頂きます(笑)。

位置時間遷移認識法との決定的な違いとしては、擬似中心という心理的な要素によって決定されるものが必要ないことが挙げられると思います。

その点においてはより客観的な認識法といえる気がいたします。

その客観的な感じを実感できそうな例が下の図F-11。

mirrorexF-11.png


仮にこれに対して、擬似中心を図F-11の座標軸の交点あたりにとって位置時間遷移認識法を用いるならば、瞬間だろうと全体だろうと基本的にはいつでも時計回りとなると思います。でも人によっては動点\({\rm P}\)が点\({\rm A}\)にあるときには反時計回りにも見えると思います。この場合には擬似中心を軌道の外側(曲率円の中心側)にとってやれば、位置時間遷移認識法でもそのような認識が十分できると思います。

それに対して、擬似中心を使わない速度遷移認識法なら動点\({\rm P}\)が図F-11の位置にあるときには時計回り、点\({\rm A}\)にあるときには反時計回り、その間の全体の回り方は時計回りと基本的には決まってしまうと思います。

とはいってもあくまで「基本的には」であって、この方法も位置時間遷移認識法と同じく、「どこかで瞬間的に速度ベクトルの向きがどっちかに1回転して元に戻った」とかいう謎の認識をして、先とは逆の回り方を認識するという奇抜な芸当も可能かと思います(笑)。

というわけで今回は、回り方の認識法についてでした。
回り方一つをとってみてもいろんな見方が出来るだろうということです。

所々でやや暴走気味だったかもしれませんが(笑)、楽しんで頂ければ幸いです。

以上です。
posted by ゴマフ犬 at 21:43| Comment(0) | ちょっとした科学の話など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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