2017年02月01日

鏡映反転の仮説の補足6〜回り方の認識法〜

再び冬眠からお目覚めです(笑)。
もう春・・・ではないか(笑)。
まあそんなことはどうでも良いとして、今回の記事です。

これまで、鏡映反転について色々書いてきたわけですが(こちら)、今回は鏡映反転というより、そのもとになると思われる認識についての話です。

まずは、前回の記事の内容を今回の記事にも使うので、まとめ直そうと思います。
座標系や座標(値)の多重状態としていたわけですが、座標系や座標値に限らず、一つの物理的な状況に対しても、複数の(場合によっては物理的には相反するような)認識が共存する場合があって、それが人の認識の不安定性に寄与しているのではないかという形で提示させていただきます(←まさに仮説)。

さて、本題です。
高野陽太郎先生が書かれた『鏡映反転』の附章(pdfファイル)には、時計回りと反時計回りの反転について書かれた部分があると思います。
そうそう実は私、こういった運動の反転というのは完全にノーマークだったのですよ(苦笑)。
そんなわけで、今回は私の仮説の補足の意味も含めて、回り方の反転・・・というより、その基になると思われる回り方自体の認識法について述べようと思います。

まずは、『鏡映反転』の中の回り方の反転の説明を簡単に紹介しようと思います。
あくまで実物が見えていない通常の時計の鏡像についての表象反転に限っての説明になっていると思いますが、その内容は以下の3つの説明があると思います。

秒針の針のように、動きが目に見える場合
説明1.その動きと記憶している針の動きを比較する。(恐らく、鏡像の元になっている実物の時計を見た上で、それと比較する場合を想定していると思う)
秒針がなく、動きが目に見えない場合は、具体的なイメージではなく、抽象的な判別方法で、
説明2.右半分と左半分の内、針の動きが、どちらが上に移動し、どちらが下に移動するで左右を比較する。
説明3.針を追って自分が文字盤の上を歩いているところを想像した際に、回転の中心が右にあるか、左にあるかで比較する。

うーん、説明1については、結局何をもってまわり方が逆と判断しているのか(具体的に何が逆か)の構造がいまいち見えないのですが、色々あるから限定しないという意味なら特に問題はなさそうですね。
ただ、説明2と3については、具体的なイメージではなく、「抽象的な《判別方法》」というのがいまいちよくわからないというか・・・。一般的な時計の抽象的な《イメージ》を基にした判別方法とかならわかる気がしますが。

そうそう、説明2と説明3は回り方の認識の過程としては、十分存在すると思うのですよ。
そしてそれは秒針が見えているか否かや実物が見えているかいないかには特に係らないことかと思います。つまりは説明1の具体的な判別方法などとしても使えるだろうということです。

もっとも、回り方の認識は、それだけということはないと思います。(念のためにいうと、高野先生がそれだけだと主張されているとかいうわけではありませんので、誤解なきように。)
表現方法が違うだけとかいうわけではなく、観測者が何をもって回り方(時計回りか反時計回りか)を認識するのかという意味で認識過程が違うものが存在すると思うのですよ。

そうは言っても、分かりにくい気がするので(そもそも私自身が高野説における他説も含めた原理の個数の扱いについては、基準がいまいちわからないという立場でもありますし)、似たような例を挙げると、例えば、以下のような問題があったとします。

*****問題*****
ある存在する実数\(x\)について以下が成り立つことが分かっている。
\begin{equation}
3x=x+4
\label{1}
\end{equation}
\begin{equation}
2x^2-3x-2=0(x>0)
\label{2}
\end{equation}
この実数\(x\)の値を求めよ。
*****以上*****


この式\eqref{1}と式\eqref{2}はどちらも解が\(x=2\)のみである数学的には同値(互いに必要十分条件であって、その表現が違うだけ)な式となっているので、どちらかを解いてしまえば答えは分かってしまうはず。
そして、式\eqref{1}だけを解いて答えを求めた場合と式\eqref{2}だけを解いて答えを求めた場合と解いた人の認識過程が全く同じかといったら、それは違うのではないかと思うのですよ。勿論どちらも数学的手法に則って解くという過程という意味では同じなわけですが、《表現が違うだけの全く同じ過程》というわけではないのではないかということです。(一応いうと、高野説における分類は、全く同じではないものの間での分類の話であって、これとは別の話だと思います。)

要するに、数学的な(又は物理的な)同値関係とそれらの認識の同値関係は、少なくとも常には一致しないのではないかということです。

仮に一致するなら、式\eqref{1}や式\eqref{2}を解く際の途中式を記述するのに、途中式を全て\(x=2\)に(これも数学的には同値なはずなので)置き換えて書いても良いのかというとそんなことはないでしょう。
もっと言うと、はじめから、式\eqref{1}や式\eqref{2}を書かずに、ひたすら\(x=2\)を繰り返すという手も・・・。(←もはや何をやりたいのかわからない(笑))
要するに、途中式で示すのは、思考(認識)の過程であって、数学的には同値だからと言って、全部\(x=2\)に置き換えたらまずいでしょうということです。

前置きが長くなりましたが(笑)、そんなわけで、今回はそれぞれ別の認識過程だと私が思う、色々な回り方の認識方法(過程)についてみていくとしましょう。(勿論、それしかないという気はありません。)

それぞれ勝手に名前を付けると(笑)、

両端運動位置比較法(上の説明2を参考)
中心位置認識法(上の説明3を参考)
運動方向認識法(中心位置識別法と数学的には同値と思われる方法)
位置時間遷移認識法(個人的には一番一般的な気がする方法)
速度時間遷移認識法(個人的には一番客観的な気がする方法)

一応念を押すと、こういう風に分類した形で示しているのは、同じ方法として表現しているものは、別の状況においても全て同じ方法であるという意図があるわけではなく、同じ状況においてもこれらの認識方法が、別々のものとして共存し得るという意図によるものです。同じ方法として表現しているものであっても、見方を変えて別と見るのも、別の方法として表現しているものであっても、ある部分においては共通しているから《ある分類上は》同じとして扱うだとかも、その有用性だとかを別にすれば、特に構わないと思います。(←くどい?(笑))

さて、それでは、それぞれの回り方の認識方法がどんなものか、(らせん形などの3次元のものもあるかと思いますが)とりあえずは2次元の平面内の運動に限って適用例(円運動+特殊な例)と共に紹介するとしましょう。

※両端運動位置比較法
mirrorexF-1.png


冒頭の説明2の判別方法を純粋な円運動以外のものにも使えるように、やや拡張した方法になります。図F-1の点\({\rm P}\)が動点であって、この回り方についての認識になります。なお、説明の便宜上、動点\({\rm P}\)の動き方は図に描かれた経路について、速度ベクトル\(\boldsymbol{v}\)で表した方向に一方通行で、逆走も止まりもしないこととします。(他の認識法でも同じ)

手順は、

手順1.全体の運動の中における、左右などのおおよそ直線的なある一方向(図F-1の\(x\)軸方向)の両端(図F-1の点\({\rm A,B}\))を特定する。
手順2.上の一方向とおおよそ垂直な方向(図F-1の\(y\))における、点\({\rm A,B}\)での運動のあり方を認識する(図F-1の速度ベクトル\(\boldsymbol{v}\)の\(y\)成分\(v_y\))
手順3.点\({\rm A,B}\)での\(v_y\)のうち、\(v_y>0,v_y<0\)となるのが、それぞれ点\({\rm A,B}\)のどちらかをもって回り方を判断する。

\(v_y>0\)が点\({\rm B}\)で、\(v_y<0\)が点\({\rm A}\)なら時計回り
\(v_y>0\)が点\({\rm A}\)で、\(v_y<0\)が点\({\rm B}\)なら反時計回り

個人的には、手順2までいったのなら、点\({\rm A,B}\)のそれぞれで\(v_y\)が\(+\)か\(-\)かで判断した方が速い気がしますが、冒頭の説明2に倣うとこうなると思いますし、出来ない判断ではないと思うので良しとしましょう。

速度ベクトル\(\boldsymbol{v}\)なんてものに怪しさを感じた人がいるかもしれませんが、観測者が感じる速度(速さと方向)の認識を数学的に表したものになります。(あくまで感覚上の速度を表すのもであって、位置の認識の時間微分によって求める物理的な定義と一致する保証はないと思います。・・・微分積分使いたい(笑)。)

後は、注目しているのが点\({\rm A,B}\)とかいう2点のみであるのも違和感がある人がいることと思います。
これについては至極まともな感覚な気がする部分で、実際には点\({\rm A,B}\)付近の他の点についての判断も行われて、それらのどの点の組み合わせでも結果が変わらないという認識の上での判断だったり、座標系の時間的な揺らぎや多重状態(この両者の明確な区別は正直何とも言えないのですが)によって、両端の点が多数存在して、それらの点を基に、回り方を認識しているということもあるのではないかと思います。

この方法の特徴としては、あくまで運動全体としての回り方についての判断ということになると思います。

ここで冒頭の説明2では、「右半分と左半分」とした部分を両端としたのは、円形から変形しても対応できるようにするためになります。
その例が下の図F-2。

mirrorexF-2.png


何やら、「C」のような形状で、左半分をみると上向きの運動と下向きの運動が混在していて冒頭の説明2では判別不能かと思いますが、全体としては時計回りに見えたりもするのではないでしょうか?

ここで、両端運動位置比較法を使うと、\(x\)座標最大の点が点\({\rm A}_1,{\rm A}_2\)のどちらなのかという気もしますが、どちらであっても基本的に(\(v_y\)の認識をぐちゃぐちゃにしたりといった、あまり奇抜なことをやらなければ(笑))時計回りと認識でき、上の認識と結果が一致すると思います。

勿論、この場合に、全体としては時計回りに見えたりもする認識法がこの方法だけとか言いたいわけではなく、候補の一つとしてはあるだろうということです。

※中心位置認識法
mirrorexF-3.png


こちらは冒頭の説明3の判別方法とほぼ同じに見えますが、感覚的なものを表す意味で、中心を、中心らしきものといった感じの意味で擬似中心というものに置き換えております。

手順は、

手順1.ある瞬間の動点\({\rm P}\)の速度ベクトル\(\boldsymbol{v}\)と擬似中心\({\rm O}\)を認識する。
手順2.速度ベクトル\(\boldsymbol{v}\)とおおよそ垂直な方向(図F-3の\(x\))について、動点と擬似中心の位置関係\({\rm O}_x-{\rm P}_x\)を認識しそれによって回り方を判断する。

\({\rm O}_x-{\rm P}_x>0\)なら時計回り
\({\rm O}_x-{\rm P}_x<0\)なら反時計回り

ここで、\({\rm O}_x-{\rm P}_x\)の\({\rm O}_x\)と\({\rm P}_x\)がいったい何を表しているのかということについてですが、これは動点と擬似中心の位置関係を前提としたもので、個別的な\({\rm O}_x\)や\({\rm P}_x\)の値には《とりあえずは》何も意味を持たせておりません。つまりは、\({\rm O}_x-{\rm P}_x\)が一つの認識ということです。
元々の考えはというと、何らかの共通の基準(座標系)があって、それを基に\({\rm O}_x\)や\({\rm P}_x\)といったそれぞれの位置を認識して、その差\({\rm O}_x-{\rm P}_x\)をもって位置関係を認識するといった形で考えていて、今もおおよそそんな感じではないかと思うわけですが、人の認識上のものである以上、位置関係の認識がそれらの差で表される保証はないと思うので、安全策をとったわけです。

あくまで、動点から見た擬似中心の位置という意識なら、動点の座標を原点(座標値0)にとるなどによって、動点の座標値を固定して、一つの変数の形で表した方が分かりやすいのかもしれませんが、どちらから見てではなく、単純に位置関係という認識になると、どちらの点の座標値を固定するかなんて意味が無くなるでしょうし、この両者の認識の違いもあいまいな気がするといいましょうか。そもそも単純な位置関係とは違う、完全なる「動点から見た擬似中心の位置という意識」が存在し得るのかもよく分からないので、柔軟性を持たせる意味でも、より一般的な形で\({\rm O}_x-{\rm P}_x\)として表現させていただきます。

この方法は、両端運動位置比較法とは違い、全体ではなく瞬間での回り方についての判断ということになると思います。

さて、円運動における中心は、円運動でなくなった時点で消滅してしまうかと思いますが、中心《のようなもの》である擬似中心なら観測者の裁量で如何ようにも認識できると思います。それが係りそうな例が下の図F-4。

mirrorexF-4.png


直線を合わせた四角形の軌道。ちなみに外接円も存在しない四角形。これも普通に見れば時計回りに見えるのではないでしょうか?

ここで、中心位置認識法を使うと、擬似中心が四角形の軌道の内側にあるならば、基本的に時計回りと認識でき、上の認識と結果が一致すると思います。

この場合の擬似中心は動点と一緒にかなり動きそうな気も大体止まっていそうな気もしますが、その辺の感覚も、冒頭でまとめた認識の多重状態の形で提示させていただきます。

※運動方向認識法
mirrorexF-5.png


こちらは、擬似中心や速度ベクトルといったものに対する認識が同じなら、中心位置認識法と数学的には同値と思われる方法になります。

手順は、

手順1.ある瞬間の動点\({\rm P}\)と擬似中心\({\rm O}\)の位置関係を認識する。
手順2.擬似中心から動点に向かう方向とおおよそ垂直な方向(図F-5の\(x\))についての動点の速度ベクトル\(\boldsymbol{v}\)の成分\(v_x\)を認識しそれによって回り方を判断する。

\(v_x>0\)なら時計回り
\(v_x<0\)なら反時計回り

中心位置認識法は動点の速度ベクトルを基準にした動点と擬似中心の(ある方向における)位置関係に注目した判断となっておりますが、運動方向認識法は動点と擬似中心の位置関係を基準にした動点の速度ベクトル(のある方向成分)に注目するという、おおよそ逆の形になっていると思います。

数学的に同値であるため、中心位置認識法と適用できる場合も同じ(かつ基本的に結果も同じ)だと思いますが、最初に挙げた両端運動比較法では(奇抜なことをしなくても(笑))判別不能となり得る適用例として、下の図F-6を挙げてみましょう。

mirrorexF-6.png


軌道が閉じていませんが、動点\({\rm P}\)がこの軌道上のどこを動いているときであっても、時計回りに見えたりもするのではないでしょうか?両端運動位置比較法では単純に左右の両端の運動に着目すると、どちらも基本的に上方向(\(v_y>0\))の運動となるでしょうから、この両端の取り方だと判別不能となってしまうと思います。(別の両端をとれば出来ると思いますが。)運動方向認識法、(及び中心位置認識法)では、動点が点\({\rm A,B}\)にあるときの擬似中心\({\rm O}_{\rm A},{\rm O}_{\rm B}\)をそれぞれ図F-6のようにとると基本的にどちらの点でも時計回りと認識できると思います。

さて、運動方向認識法は中心位置認識法と数学的に同値と思われると書いたわけですが、気になる人もいるかもしれませんので、そのことを数学的に示しておきます。それが、下の図F-7になります。

mirrorexF-7.png


前提として、擬似中心と動点の位置関係を表す位置ベクトル(\(\boldsymbol{r}\))と速度ベクトル(\(\boldsymbol{v}\))の認識は両者の比較法で変わらないとしておきましょう。それぞれの座標系の取り方だとかも完全な直交座標系であるなどの理想的な状態であるとしましょう。
その場合には、どちらの認識法であっても、\(\boldsymbol{r}\)と\(\boldsymbol{v}\)の関係のみによって決まると思います。

数学が得意な人向けにベクトルの外積を使うと、両者ともに\(\boldsymbol{r} \times \boldsymbol{v}\)の向きによって決まり、両者の判断が完全に一致することになると思います。よって数学的には同値でしょうということです。

※位置時間遷移認識法
mirrorexF-8_1.png


これまで挙げた認識法は、両端運動位置比較法が運動全体の回り方、中心位置認識法及び運動方向認識法は瞬間での回り方についてのものとして提示したわけで、どちらも兼ね備えていると捉えるのは困難かと思いますが、それが容易に思えるのがこの認識法。個人的にはもっとも一般的な回り方の認識な気がするものです。

手順は、

手順1.擬似中心\({\rm O}\)と、その擬似中心から動点へ向かう方向の時間遷移を認識する。(図F-8では、この方向を\(x\)軸とのなす角\(\theta\)として表現、つまりは方向を角度成分として数値化して表現しております。)
手順2.その方向の時間遷移によって回り方を判断する。

\(\theta\)の時間遷移が\(+\)(時間とともに増加する方向)なら反時計回り
\(\theta\)の時間遷移が\(-\)(時間とともに減少する方向)なら時計回り

図F-7で使った位置ベクトル\(\boldsymbol{r}\)を用いて数学的に表すなら、\(\boldsymbol{r}\)を極座標表示した際の角度成分\(\theta\)の時間遷移による判断ということになると思います。

ここで、\(\theta\)は方向を表しているわけですが、動点と擬似中心の位置関係のときと同様、その個々の数値自体には《とりあえずは》意味は持たせず、その時間遷移を認識して回り方を判断するということです。

ちなみに\(\theta\)の範囲は負の数も含めて実数ならば何でもありのものになります。
単位を"°"で考えると\(\theta\)が360°増えれば1周分、720°増えれば2周分反時計回りに回転し、360°減れば1周分時計回りに回転することを表すということです。

瞬間の回り方については、瞬間的な\(\theta\)の増減によって判断し、ある区間(例えば動点\({\rm P}\)が図F-8に示してある位置から点\({\rm A}\)に移動するまでの間)の全体的な回り方については、その区間の両端の\(\theta\)の差をもって判断するということです。

この認識法に対してはこう思う人もいるかもしれません。

「この方法は結局、動点の方向の回り方が時計回りか反時計回りかによって判断しているのであって、その時計回りか反時計回りかの判断には他の認識法が必要なはずではないか?」

要するに、結局は、これより前に示したような前後上下左右などの他の基準で考えられる認識法が必要ではないかということですが、考えてみて欲しいのは回り方が逆の2つの円運動を目の前で見せられた時に、わざわざ他の基準を持ってこなければ回り方が逆だと判断できないのかということです。

つまりは、前後上下左右などは、人に内在する感覚に名前を付けたものになると思いますが、位置時間遷移認識法における方向の遷移の仕方も同様に人の中に内在する感覚であって、それらに時計回りや反時計回りといった名前のある区分を設けているだけではないかということです。

これより前に挙げた3つの認識法はどちらかというと、前後上下左右などのより馴染みある言葉によって考えることができる思考的な方法だったと思いますが、こちらはより直感的な認識法ではないかということです。

そもそも、これまで挙げた方法の座標系の\(x,y\)軸(つまりは前後上下左右などの直感的な方向を表せるもの)にしたって、その2つの関係は、おおよそ(完全な直交座標系なら完全に)原点を中心に《反時計回り》に\(x\)軸を90°回転させれば、\(y\)軸に一致するという関係になるかと思いますので、前後上下左右は直感的にそのまま判断できるが、回り方は前後上下左右などの他の基準を使わなければ判断できないなんてことはないと思います。(勿論、中にはそういう人もいるとは思いますが、人類に共通する必然的性質ではないと思うということです。)

さて、この位置時間遷移認識法は、瞬間の回り方とある区間の全体の回り方の2通りの回り方が別々に存在し、ある区間内のある点における瞬間の回り方がその区間の全体の回り方と一致しないこともあると思います。その例が下の図F-9。

mirrorexF-9.png


位置時間遷移認識法では、動点\({\rm P}\)が図F-9に示してある位置から点\({\rm A}\)に移動するまでの間の全体の回り方は基本的に時計回りとなり、動点\({\rm P}\)が点\({\rm A}\)にある時の瞬間の回り方は基本的に反時計回りとなり、一致しないことと思います。

ちなみにこの認識法では、判断基準が角度の遷移であるため、「どこかで瞬間的にどっちかに1回転して元の位置に戻った」とかいう謎の認識をして遊ぶことも可能かと思います(笑)。

・・・と書いたところで、「動点\({\rm P}\)の動き方は図に描かれた経路について、速度ベクトル\(\boldsymbol{v}\)で表した方向に一方通行で、逆走も止まりもしないこととします。」という説明の便宜上の前提を思い出すという(逆走ダメじゃん!)悲しき事態に陥ったので(笑)、この場においては瞬間的な逆走はありでお願いします。
瞬間的な回転なので、(長さが0であるその《瞬間の期間》の中に、動点\({\rm P}\)が逆走の途中経路上のある点に存在する瞬間は基本的に存在しないと思うので)、逆回転はしても、逆走はしていないという解釈もできるかもしれませんが、念のため。

大学生等の物理を学んでいる人向けに、
ちなみに、人の認識上の話ではなく、実際の物理上の運動に対して、\(\theta\)を瞬間的に\(\pm 360{\rm °}\)するという解釈を適用しても、物理学の定義上、速度に変化はないと思います。よって、「物体の速度は光速を超えない」などの法則の反例とはならないでしょう。素晴らしい!間違っても極座標表示で大きさが無限大の角速度を使って、「速度の大きさも無限大になる」なんてことをやってはいけないでしょう。理由はあえては書きませんので、ご興味がありましたらご自分でお願いします。訓練です(笑)。

※速度時間遷移認識法
mirrorexF-10.png


位置時間遷移認識法は動点の位置(ベクトル\(\boldsymbol{r}\))の角度成分の時間遷移についてのものでしたが、速度時間遷移認識法は動点の速度ベクトル\(\boldsymbol{v}\)の角度成分の時間遷移についてのものになります。

手順も表現上は、位置時間遷移認識法と非常に似通った感じで

手順1.動点の速度ベクトルの方向(角度成分\(\theta\))の時間遷移を認識する。
手順2.その方向の時間遷移によって回り方を判断する。

\(\theta\)の時間遷移が\(+\)(時間とともに増加する方向)なら反時計回り
\(\theta\)の時間遷移が\(-\)(時間とともに減少する方向)なら時計回り

瞬間と全体の回り方についても、\(\theta\)の時間遷移について位置時間遷移認識法と同様に判断する訳です。

図F-10の位置空間や速度空間っていったい何?と思う人もいると思いますので説明しますと、位置空間は動点の運動を位置によって表すいわば普通の空間なのに対して、速度空間の方は各点の速度ベクトルをその始点を原点にとって表現したものになります。(速度空間という言葉は物理の世界でも使うと思いますが、位置空間は私の造語です。)
こうしてみると速度空間における\(\theta\)が、位置時間遷移認識法の位置空間における\(\theta\)のような形になって、回り方を実感しやすいのではないかということです。

「そんな認識、誰がするんじゃい!」という声が聞こえてきそうな気もしますが、出来ないわけではないと思う、尚且つ個人的に面白いので続行させて頂きます(笑)。

位置時間遷移認識法との決定的な違いとしては、擬似中心という心理的な要素によって決定されるものが必要ないことが挙げられると思います。

その点においてはより客観的な認識法といえる気がいたします。

その客観的な感じを実感できそうな例が下の図F-11。

mirrorexF-11.png


仮にこれに対して、擬似中心を図F-11の座標軸の交点あたりにとって位置時間遷移認識法を用いるならば、瞬間だろうと全体だろうと基本的にはいつでも時計回りとなると思います。でも人によっては動点\({\rm P}\)が点\({\rm A}\)にあるときには反時計回りにも見えると思います。この場合には擬似中心を軌道の外側(曲率円の中心側)にとってやれば、位置時間遷移認識法でもそのような認識が十分できると思います。

それに対して、擬似中心を使わない速度遷移認識法なら動点\({\rm P}\)が図F-11の位置にあるときには時計回り、点\({\rm A}\)にあるときには反時計回り、その間の全体の回り方は時計回りと基本的には決まってしまうと思います。

とはいってもあくまで「基本的には」であって、この方法も位置時間遷移認識法と同じく、「どこかで瞬間的に速度ベクトルの向きがどっちかに1回転して元に戻った」とかいう謎の認識をして、先とは逆の回り方を認識するという奇抜な芸当も可能かと思います(笑)。

というわけで今回は、回り方の認識法についてでした。
回り方一つをとってみてもいろんな見方が出来るだろうということです。

所々でやや暴走気味だったかもしれませんが(笑)、楽しんで頂ければ幸いです。

以上です。
posted by ゴマフ犬 at 21:43| Comment(0) | ちょっとした科学の話など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月23日

『鏡映反転』高野説について3〜座標系の単一性〜

再び冬眠破りかという感じですが、私の仮説の修正点にも若干絡む話なので、再び目覚めます(笑)。
あまり余裕がない(かつ仕事でもない)のでざっとになりますので、その程度と思って読んでいただければと思います。
何時になるかはさておき、余裕ができれば後で修正するなり、よほどひどければ削除するかもしれませんが。

今回は前回の実験の予測一意性などにも絡む話なのですが、高野説の座標系の単一性について。
どういうことかといったら、高野説では、実物や鏡像の左右などの方向を判断する座標系はそれぞれ単一のものであることを前提としていると思うことについてになります。

例えば、高野説の実験には、鏡映反転の認識の際の方向確認する目的で、リボンを付けた腕の方向を問う実験があると思いますが、これは実物だったら実物のリボンを付けている腕の方向は、鏡映反転の(左右が逆になったかどうかの)判断の際と単純にリボンを付けた腕の方向を問われた際で同じであることが前提になっているのではないかと思うことです。

この前提は、それに基づいて他説の批判が多数なされている、高野説の論展開の上ではかなり重要な部分だと思います。

でも、この前提がそもそもおかしいのではないかということです(これも高野先生にメールでお伝えしたことの一つになります)。

どういうことかといったら、同じ実物や鏡像についての方向であっても、その目的によってバラバラのものになることがあるのではないかということです。

例えば、ある人(Aさん)と直立して(体をひねったりしないで)向かい合っている人がいるとしましょう。そしてその左腕にリボンを付けているとしましょう。
このときのその人にリボンを付けている腕は左右どちら側にあると判断するか。

このとき、Aさんは体の部位を見分けるという高野説にもある目的で、左と判断したとしましょう。
さて次です。
Aさんに向かい合っている人の右手を自分の右手で触ってもらいます。その後、同じ右手で、その向かい合ている人の左手を触ってもらうとします。この時でも向かい合っている人のリボンを付けている腕は先ほどと同じく左と判断しているのか?

例えば、Aさんに「向かい合っている人の左腕を触るためには、あなたの右手を右と左のどちらに動かせばよいですか?」と訊くと、左と答えるのかどうか?恐らくほとんどの人は右と答えるのではないでしょうか?
この時でも向かい合っている人のリボンを付けた腕を左側と判断しているのかどうかということです。(ここで、リボンを付けた腕の位置を訊かれてどう答えるかという意味ではなく、右手を右に動かせばよいと判断した基準になった位置(方向)がどういったものかということです。つまりは、右手を右に動かせばよいとの判断の構造を表す際に用いる座標系等の基準はどういったものであるかということです。)

仮にそうなら、左右などの方向で腕を動かす方向を判断する際には「左側にある腕を触るためには右手を右に動かせばよい」とかいう判断をすることになりそうですが、普通、そんな形で判断するのかということです。
そもそも、自分の右手で相手のリボンを付けている腕を触るという行為は同一の座標系をとるなら、両者の座標値を重ね合わせることになると思いますが、この両者で全く別々の方向の基準をとっていたのではややこしいことこの上ないのではないかと思います。

要するに、それぞれの方向の基準は、その目的によってバラバラに複数存在し得るのではないかということです。

何と言いましょうか、この辺は、単に「左」とか「右」と言ってしまうと「何を基準にして」とか「何と比較して」とかいった色々な情報が欠落していて、リボンを付けた腕は左右のどちらかなんて言うのは、その言葉をどう捉えるかといった言葉の意味の問題ではないかと言いましょうか。
リボンを付けた腕を左側と答えたからと言って、その判断はその判断の目的によって(傾向としても)変わり得るものではないかということです。そもそも同時に複数の基準が存在することだってあるのではないかということです。

そういうわけで、リボンを付けた腕の方向を問われた際の方向の基準と鏡映反転の認識の際の方向の基準というのも、ただの位置の認識と実物と鏡像との比較という少なくとも概念上は違う目的のものについてのものである可能性があって、単一のものであるという前提の上で議論するのはかなりリスクが高いのではないかということです。

あまり余裕がないので、この前提を用いた他説の批判の例だとかは、興味があれば各自確認ということにさせていただきます。

さて、冒頭で述べた私の仮説の修正点についてですが、鏡映反転の判断の際の実物や鏡像に対する座標系も単一ではなく同時に複数(というか多量)と考えたほうが良いのではないかと思うことです。(←以下の内容は追記で早速修正しております(苦笑))

左右などの方向の判断を単一の座標系を用いて表すためには、実物だったら実物の左右などの位置関係を認識している各点に対して具体的な座標値(幅を持ったものか完全に点であるかは別にして)を割り当てられなければいけないと思いますが、この左右などの方向というのは人の感覚上のものであるため、その保証が特にないと思ったわけです。

例えば、3点A,B,Cがあったとして
「AよりBは左にある。BよりCは左にある。CよりAは左にある。」
なんて認識が同時にあるとすると単一の座標系では、左にあるものほど左右の座標値を大きくとるとすると、左右の座標値の大小関係は
A<B<C<A
となってしまって矛盾してしまうと思うわけです。
そしてこういう認識があり得るのかといったら恐らくあり得ると思います。その例が不可能図形(ざっくりいうと実際にはあり得ない立体が描かれているように見える図形ってことで良いと思います)ってやつの一部でないかと思うわけです。

確実に単一の座標系で表せるのは2点の位置関係についてだけであって、それぞれの2点についての多数の座標系を単一のものであるかのように錯覚して判断しているような状態が感覚的な方向や形状についての認識なのではないかということです。

つまり、上の3点A,B,Cの例でいうと、
「ある座標系ではA<B。別の座標系ではB<C。別の座標系ではC<A」
これなら同時の認識であっても別に矛盾しないのではないかということです。
もっとも、この場合には同じ点に複数の座標値が割り当てられて、それぞれの情報がごちゃまぜになっている状態での認識だったりすると思いますが、それが普通の認識ということもあり得るのではないかということです。(いよいよ複雑っぽくなって参りました(笑))

これなら、不可能図形の認識も(全てというつもりはありませんが)説明できるのではないかと思います。
思わぬ副産物ってやつです(笑)。

ちなみに私の仮説の適用例に書いてある座標系(軸)は、多数の座標系のを一つに近似したものとして見ていただければと思います。

以上です。続きを読む
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2016年11月30日

かけ算の順序性

少し前に、冬眠するといっていた気がしますが(笑)、ちょうど気になる記事を見たので、それについて書いておこうと思います。

その記事がこちらになりますが、
「長いすが6つあります。1つのいすに7人ずつすわると、みんなで何人すわれますか」
という問題で、式を「6×7=42」と書いたら、7人ずつが6つ分という発想で「7×6=42」としなければバツだとされたものだそうです。

勿論、数学的には積の順序なんてどうだってよいのであって、間違いなんてことはないはずですが、気になったのは、記事にあるように「初期段階にかけ算の考えをなじませるための手法としてはいい」といった主張も分からないではないのですが、○×を付けるようなものとして出すような問題だとは思わないのですよね。

そもそも「かけ算の考えをなじませる」意図があっても、この問題の考え方自体が「7人ずつが6つ分」と考えなければいけないようなものではないはず。

「6×7=42」(6が7つ)が自然に思えるような考え方を例に挙げれば(面倒なので図は書かない(笑))、

@「1つのいすに7人ずつすわるので、人の数はいすの数の7倍になる。よって答えは椅子の数の6の7倍で、
6×7=42」

A「(いすの座る場所に1〜7までの番号を振るなどして、)それぞれのいすの1番の場所に座っている人は全部で(いすの数と同じで)6人、2番から7番の場所に座っている人も同じでそれぞれ6人、6人が7つ分なので、6×7=42」

単位にこだわるなら、それぞれ単位付きで式を書くと

@6[脚]×7[人/脚]=42[人]

A6[人]×7=42[人]
それぞれの番号に座っている6[人]の導出にもこだわるなら、
6[脚]×1[人/脚]×7=42[人](6[脚]×1[人/脚]=6[人])

と書けると思います。
[人/脚]の単位はあまりなじみがない気がしますが、この単位がついている7や1をいすの数[脚]から人の数[人]への変換の数(または、いす1脚当たりの《該当する》人数)と考えればこうなるかと思います。

まあ、7人ずつが6つ分という発想の方も
7[人/脚]×6[脚]=42[人]
と[人/脚]を使って書けるかと思いますので、そこは気にすることでもないでしょう。

よって、「かけ算の考えをなじませる」意図であっても、「6×7=42」を間違いとして扱う妥当性が特にない気がいたします。
単に、この問題を「7人ずつが6つ分」と考える人が多いというだけの話で・・・。

そうはいっても、採点者が「これが正解でこれは不正解だ」と言ってしまえば、そう扱われてしまうのが試験ってやつだったりすると思うわけでして・・・。(特に受験などで反論の機会がない場合)

所詮は試験なんてものは、正しかろうが間違っていようが採点者のご期待通りに答えられるかをみるようなものだと思うわけでして、それだけに採点する側にはしっかりして頂きたいと思うわけですよね。

試験仕様と学問仕様で考え方を使い分けるのも面倒でしょうし、何より、試験の正解だからと言って、間違ったことを「正しい」と思い込んでしまうのは危険なことだと思いますので。(そしてその思い込みが強いほど、試験でその間違った「正解」にたどり着きやすく、その得点によって、《学問的に》評価されやすくなる気がする点も・・・。)

そういった意味で教育ってやつは中々怖いものだと思うわけです。
慎重にせねばということです。

珍しく時事ネタ(?)となりましたが如何でしょう?
posted by ゴマフ犬 at 21:57| Comment(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする